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繁栄の廻廊−新居浜登り道−
元禄15年(1720年)別子銅山の銅の積出港として新居浜口屋(浜宿)が設置されます。犬公方徳川綱吉の治世で年の暮れには『赤穂浪士討ち入り』が起こり、世情が騒がしくなる頃です。
別子銅山は、元禄4年の開坑以来幾多の困難を乗り越え、世界有数の銅山として既に240年もの稼行を続ける中、昭和6年(1691年)には新居浜の大動脈の『昭和通り』が開通し、昭和12年には新居浜氏が誕生します。
戦後の復興が進んだ昭和30年代になると『登り道』にはいくつもの銀行の支店が次々と開行され、昭和31年には登り道に隣接して、近代建築美に彩られた『銀ビル商店街』や『銀泉街』がオープンします。
​当時最大の娯楽であった映画館がひしめく街には、土・日曜にもなると収まりきれないほどの人で溢れ、多くの家族連れでにぎわいます。昭和33年には『登り道』の舗装がなされ、昭和45年には待望のアーケードが完成します。
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